2018年1月5日金曜日

書--美の感性

昨日は、私の書道の塾の日でした。
月に3日ほどの塾通いです。
昨年の4月からのスタートですので、9カ月が過ぎたことになります。
上達度は、富士山のすそ野を歩いているようで、まだ、何も見えません。
視界ゼロ。
山頂への道は、少し分かってきました。
書は、篆書、隷書、草書、行書、楷書・かなと字体が、わかれますが、私は、まず、楷書に入りました。
ブログで、美しい文章をかくために和歌・俳句に関心を持ち、それらの本を読んでいるうちに美しいかな(古筆)に出会いました。
そして、「かな」を書けるようになりたいと思ったからです。
藤原俊成書
顕広切
藤原俊成(1114~1204)が書いた古今集は顕広切のほか、
御家切(おいえぎれ)・昭和切・御物本古今集・了佐切(りょうさぎれ)の
5種類が現存するが、
そのうち最も若いころに書かれたものである。
俊成は54歳まで顕広と名のっており、
そのころに書かれたので顕広切と呼ばれる。

昨日は、習い終わって先生との雑談になりました。
私は、「藤原俊成のかなが好きです。」と話しましたが、先生は、「好みであり、また、やっているうちに変る。」とも言いました。
それは、目が肥えるか、それとも、単なる好みの変化なのか。
先生は、「中国の書(漢字)から、どうして、このような美しい’かな’文字が生まれたのでしょうね。」と感嘆していました。
日本人の色や形、言葉に対する感性は、優れたものです。
私たちの祖先は、長い年月を経て大陸からやってきたのでしょうが、縄文人がおり、弥生人に変り、現代に続きます。

私たちは、筆を持たなくなって、随分となります。
江戸時代、明治、大正、・・・と筆は、主要なものでした。
しかし、今では、もつ機会が少なくなりました。
この後、書の美しさを愛でる、書の美しさがわかる感性(審美眼)は、衰えてしまうように思います。
「味は、三代」の言葉があります。
味覚は、3歳から9歳の間に決定づけられるといいます。
その時の味覚が、その後の味覚の基になります。
調理人の味覚は、その後に経験をいかに経ようとも成長することはありません。
包丁さばきは、数年、盛付も8年もあれば、習得できます。
しかし、味覚は、子どものときに身につき生涯変わらないといいます。

言葉や、美の感性(審美眼)は、普段生活の中で、培われる物かと思います。
手仕事専科では、「和美との生活」を提唱しています。
それは、「私が、美しいものを好きだ。」ということが、スタートです。
美しいもの、「美の世界」を知ることから、発展してきたからです。
那須の田舎育ちで、なんら美に囲まれていたわけではありませんが、好きでした。
那須という自然が、そうだったのでしょうか。
私は、先祖のDNAだろうと思っています。
祖父も叔父も書が、優れていました。
絵も上手かったといいます。
五代前に富山県砺波地方から、移住してきたご先祖は、そのような血を持っていたのだろうと思います。
確信します。

美に対する感性は、育てて行くことが大切に思います。
美術館であり、生活の中にそれらの物を愛で、培ってゆくことが術になるでしょう。
自然の四季の移りやそれを愛でる行楽、文化に親しむ行事など大切に継承して行くことが、重要です。
かつて、フランスでは、マクドナルドが出店する際に反対運動がおこりました。
それは、フランスの文化にアメリカの文化(ファーストフードの食文化)が、そぐわないと思ったからです。 
日本では、なし崩し的にすべてのものが、敗戦をきっかけに雪崩れ込みました。
そして、旧来からの文化も主体性も破壊し尽くされました。
戦後70年が過ぎて、アメリカ(西欧の文化)の力に蹂躙され、家畜化されていても何ら気づくことはありません。
悲しいながら、混沌としているイスラム国の方が、まだ、主体性を保っているように思います。
和美との生活」は、歴史とそして、現実を知ることからスタートします。
私たちのもつ伝統と文化を未来につなげて行きたいと思います。
その母艦が、手仕事専科です。

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